悪口=褒め言葉?「ゲームの事しか頭にねぇ奴!」ってのは嘲笑か称賛か?

悪口=褒め言葉な人生

 

 

ゲームにハマってたらおかしな事になった

 

よく遊んでた友達が次の日になったら豹変。話しかけてもひたすら無視。 いまだに覚えている小5~6の時にあったいじめ。どうやら前々から計画してたことを実行したって陰湿な話。

 

その酷いのがずっと続いた為、問いただしてみたらま~これが笑っちゃいます。

 

「いっつもゲームばっかりやってるから」

 

冗談ではなく聞かされた理由はマジでこれ。おふざけじゃなくて本気の差別と攻撃。異常にゲームが好きで変だから無視を始めたとのこと。

 

しかもそれを主導したのは、

 

『そいつのお母さん』

 

この笑えない展開が逆にもう面白い。

 

「ゲームが好きなんてくだらない!あの子とは一緒に遊んじゃいけません!」ってなことらしく、何故だかいつに間にやら大人と子供、親子揃っての拒絶と憎悪をもらう展開に。

 

・ゲームなど悪!

・子供はお外で遊ぶべき!

・素直に大人に従うのが当然!

 

まぁこういうノリですかね。

 

好きなことやってたらなんか周囲が勝手に引いてた。品行方正で真面目、子供思いな大人にも嫌われてた。今考えてみてもちょっと興味深くなる話。

 

【スポンサーリンク】

 

 

それでもゲームが好きだった結果、周りが変わった

 

「世の中は変わってくれない!自分を変えなさい!」ってのも正しく現実的な説法かもしれません。でもこれ、存在の全否定でもある感も否めない。子供がこんなこと言われても納得なんてしない。

 

「周りも世界も変わるほど好きな事に熱中してみなさい!もっともっと自分を好きになりなさい!」なんて言われる方が自分的には響くかな?

 

実際、良いこと言った気になってるだけのお説教聞くよりゲームにハマってる方がよっぽど良い影響あり。ファイアーエムブレムやってたら計算が妙に早くなってたなんてのもそうでしょう。

 

とは言え唯我独尊を決め込めるほどの強さはさすがになかった小学生当時の自分。「俺も外で遊ばないと!」なんて不覚にも校庭でサッカーやったりなんだり、かなり揺らいでもしまったのが正直なところ。

 

でもだからとゲームやらなくなったかってそうではなし。むしろよりハマっていくようになっていったぐらいのレベル。こうなるともう何か逆に裏返るもんですね。

 

「ゲーム攻略に困ったらこいつを頼れ!」

 

みたいな扱いになるのが面白い。

 

その手のやつで懐かしい例を一つ挙げるとしたら【FF6の英雄の盾】。血塗られた盾を装備して255回勝利すれば呪いが解けて最強の装備になるってやつ。

 

ネットなんか全然発達してなかった時代、嘘臭い情報でもなんでも頼りにしなければならなかった悲しさ。デタラメも多く何回騙されたことか。ゆえにこれを実際やったのは周囲で自分だけ。本当に成功した瞬間、思わず声が出てしまいました。

 

ゲーム中心に誰かが家に遊びに来ることは日常茶飯事。攻略に呼ばれて遊びに行くことなんかもあったり一部では妙に尊敬の扱いを受けていた気もします。ネオジオ持ってるってそれだけでもネタ。実際、それ目的とかでも誰かがよく来てた記憶。

 

【スポンサーリンク】

 

 

今考えると大人が受け入れたくない何かがある気はする

 

良いか悪いかはともかく喧嘩が強い方だった為、その点でいじめられることもなかった自分。無視決め込んだやつより足も速く明らかに体も大きかった。断定はできませんが、もしかしたらあいつ自体に何らかの嫉妬や劣等感があったのかもしれない、粗暴で理不尽な思いをさせていたのだろうとも想像。

 

親は親で線の細い子供に対して何か思うことがあったのかなと今になって考えるところもあります。どっちにしても酷い話ではあるけれど人間なんて弱くて勝手なのも分かりはする。

 

しかしまぁ、いじめなんかあってないようなものと化していったのが何とも不思議と言うか皮肉と言うか、むしろゲームがあったからこそ友達がいた、自我を持ってたようにも感じますかね。そりゃ~あのお母さんには理解不能な生き物だと認識されても何もおかしくはない。

 

塾も行かず習い事もせずゲームばっかやってる。にもかかわらず意外と成績良いとか絵画の賞状を沢山取ってた変な話。言葉にしないでも意識せずとも人生か遺伝子を否定された気持ちになる可能性はあるのかも?

 

少なくとも「人は平等!努力は報われる!一生懸命偉くなりなさい!」と教えようとして参考にすべき人間じゃなかったのは間違いなさげ。

 

好きな事やってると敵も味方もできるらしい 

 

一直線に好きなものがある人間、それに打ち込んでるやつってどうやら不思議な存在らしい。やたら縛りを設けて手間のかかる攻略法を楽しむ、無駄としか思えないことを見つけて遊ぶ、そういうのってはたから見たらちょっとおかしいらしい。

 

狂ったようにゲームをやるとか自分からすればそれが当たり前なんだけど周りはどうやらそうではない。これを小学生時点で体験できたのは貴重と言えば貴重。

 

一方、興味のあるやつだったら気になってしまう、仲良くなりたくなってしまう、そんなことが起こるのも人間。まさに『類を友を呼ぶ』ってのが実に楽しい因果。ゲームが原因になっていじめられたことがあったのは事実。しかしそれ以上に友達ができたり人と話す機会も増えたのは声を上げておきたい。

 

・好きなものが人を魅力的にしてくれる

・人生を豊かに楽しめるようにしてくれる

・行くべき道を示してくれる可能性だってある

 

これは本当にそうだと自分は確信する次第。

 

特に今の時代なんかは多くの道が存在しているもの。少なくともあのお母さんみたいなことを正義としてやってしまうのが良いとはならないでしょう。

 

他人の子供から恨み買う親って何か根が深くて嫌だし怖い。それよりゃ何か面白い特技でも持って人を楽しませることができた方が良い。誰にとって面白くなくても何かに打ち込み熱中してればそれだけで人間って違うはず。

 

【スポンサーリンク】
 

 

〇〇の事しか頭にないという誉め言葉

 

今ではゲームが『ベース』に変わってしまった感のある自分。ゲームが超絶好きなことに変わりはないけどそれを開放すると人生終了一直線間違いなし。意識的に控えることにしてます。

 

ただ、なんと申しますか楽器ってちょっとずるいですよね。

 

「ベースの事しか頭にない!」

 

おいおい、何かかっけぇ感じになっちゃうじゃねーかと。まぁ正直、そこまでの次元には達していませんが、ベースが好きなことに違いはありません。

 

真面目な話、周囲から見たら異常なレベルでハマってるとか有り得ないほど詳しいなど、そんなオタク的な能力を持ってるってのは本当に面白いこと。一芸を持ってる人ってやっぱり自然と尊敬しちゃいます。

  

「そこまで好きなことなんかない・・」と悩むのであればそれは逆にチャンスってもん。腐ってた闇な時間があるほどその反動も凄くすることができるのが人間。無気力無関心が裏返って一気に熱中することも大いに考えられる。

 

講師やってる友人ともよく話しますが、完璧主義すぎたりシリアスに悩みすぎたり、世の中にはそんな人が意外なぐらい多い。

 

「どうせ自分には無理・・」

「才能ない・・・」

「努力なんてできない・・・」

 

これって志が高いと言うよりは諦めから入っちゃってる感が非常に強い。こういう思考に染まってると辛くなるだけ。正義感が強すぎたり潔癖症なんてのも面倒。

 

とにもかくにもまずは、

 

・遊ぶ

・楽しむ

・好きになる

 

こいつですね。

 

心底興味のないことはどうやったって好きになれない。無理してやっても破綻するだけ。「俺はこれが好きなんだ・・間違いないんだ・・これしかないんだ・・絶対そう・・なんだ!」と言い聞かせてるのではたぶん駄目。合ってるふりするのも好きなふりするのも誤魔化し騙すのは辛い。

 

だったらよく分かんないけど楽しい、長く続けても苦にならない、あって当たり前と、そういう方が何か良い感じになるんじゃないかと。相性、適性、それが良い方向で見つかるだけでも人生って変わるもの。

 

法に触れてることは推奨できないけど好きになれることがあるなら絶対大事にした方が良い。あれもこれも沢山求めなくても人間って結構幸せになれちゃいます。上を見ればとんでもない化け物が沢山いるのも現実。でもそれ気にしすぎて潰れて不幸になるのは考えもの。目も耳も口も塞ぐってのは息苦しく暗く退屈。

 

負けるが勝ち遊ぶは価値。

 

意外とこんなもんで良いんじゃないかと。

 

【スポンサーリンク】
 

 

 

【関連&おすすめ記事】

kakkee-gt.hatenablog.com

 

kakkee-gt.hatenablog.com

 

kakkee-gt.hatenablog.com

 

kakkee-gt.hatenablog.com

 

kakkee-gt.hatenablog.com

 

kakkee-gt.hatenablog.com

 

kakkee-gt.hatenablog.com

 

www.pompombass.com